院長あいさつ
私が歯科医師になった理由
奈良県は金剛山のふもとで生まれ育ち、野山を駆けまわる子供時代でした。小学校2年生の時に盲腸炎をこじらせ3度の手術と3ヶ月の入院生活を経験しました。
3度目の手術の時は、助からない可能性の方が高いと主治医から告げられた両親は 覚悟の上で手術をすることを決めたと 後になって教えられました。
入院期間中、毎日の様に見舞いに来てくれていた祖父から「元気になったら おまえは医者になれ」と何度も言われたことが、頭の隅の方にずっと残っていました。
「死ぬかもしれない」という考えは、小学2年生の自分にはまったくなく、早く退院して学校に戻ることだけを毎日考えていた様に思います。それでも医療の大切さ、ありがたみは身にしみていたので、何となく「お医者さんになれたらいいな」という気持ちはずっと心の中にあったのだと思います。
高校生になり、進路を決めるにあたって子供の頃から手先が器用だったこともあり、担任の先生から歯科医の道を進められました。実家は農家で私立に行ける余裕はありませんでしたので、国公立の大学ということで九州歯科大学を受験合格し、奨学金を受けながら無事卒業、晴れて歯科医師になることが出来ました。
3度目の手術の時は、助からない可能性の方が高いと主治医から告げられた両親は 覚悟の上で手術をすることを決めたと 後になって教えられました。
入院期間中、毎日の様に見舞いに来てくれていた祖父から「元気になったら おまえは医者になれ」と何度も言われたことが、頭の隅の方にずっと残っていました。
「死ぬかもしれない」という考えは、小学2年生の自分にはまったくなく、早く退院して学校に戻ることだけを毎日考えていた様に思います。それでも医療の大切さ、ありがたみは身にしみていたので、何となく「お医者さんになれたらいいな」という気持ちはずっと心の中にあったのだと思います。
高校生になり、進路を決めるにあたって子供の頃から手先が器用だったこともあり、担任の先生から歯科医の道を進められました。実家は農家で私立に行ける余裕はありませんでしたので、国公立の大学ということで九州歯科大学を受験合格し、奨学金を受けながら無事卒業、晴れて歯科医師になることが出来ました。
診療に対する思い
卒業後、大阪福島区で5年、奈良県天寺町で1年間勤務医として修行をしましたが、実はこの時期で一番大変だった患者は実の父親でした。技術的にも精神的にも未熟だった自分に一つ一つダメ出しをされても反論は出来ませんでした。
そこで教えられたことは、まず「できるだけ痛みの少ない治療」を心がけること
患者さんは歯が痛くて弱っているのに治療中も痛みが強いようだと続けて歯を良くしたいとは思ってもらえない。そのためには「痛くない麻酔」や「優しい治療」に徹すること・・・
「優しい治療」とは子どもさんやお年寄りが安心して受けられる医院であることが必要と言うことです。
今は亡き父も最後には「作ってくれた入れ歯で何でも食べられる」と喜んでくれていました。
「できるだけ痛みの少ない治療」
「子どもやお年寄りに安心してもらえる医院」
この2つを忘れずに日々の診療にあたっています。
そこで教えられたことは、まず「できるだけ痛みの少ない治療」を心がけること
患者さんは歯が痛くて弱っているのに治療中も痛みが強いようだと続けて歯を良くしたいとは思ってもらえない。そのためには「痛くない麻酔」や「優しい治療」に徹すること・・・
「優しい治療」とは子どもさんやお年寄りが安心して受けられる医院であることが必要と言うことです。
今は亡き父も最後には「作ってくれた入れ歯で何でも食べられる」と喜んでくれていました。
「できるだけ痛みの少ない治療」
「子どもやお年寄りに安心してもらえる医院」
この2つを忘れずに日々の診療にあたっています。